先日、哲学カフェに参加しました。
哲学カフェとは、身近なテーマに関してみんなでじっくり話し合い、ともに考えるプロセスを楽しむ場です。
「哲学」とついていますが、できるだけ日常の言葉を使って、自分たちの身近な問題に引きつけて話します。
テーマは【良い嘘、悪い嘘】でした。
その時に印象に残ったことについて書きます。
印象に残ったこと
特に印象に残った話は次の3つです。
1.仕事でつく嘘
嘘つきにはなりたくない、と思います。
でも、よく考えると仕事では嘘をついています。
例えば、今は話したくない相手からの電話があったとき、自分は出掛けていることにするとか、
交渉相手に、実際より少し良いように説明するとか。
それが良い嘘なのか悪い嘘なのかはわかりませんが、仕事でなくても場合によっては必要な嘘もあるかもなぁと思いました。
2.「嘘」と「本当」はどうやって判断するのか
ある 出来事について、その捉え方は人によって変わることがあります。
例えば、伊集院光が落語をやめた時、立川談志の落語を聞いてそのクオリティーの高さにショックを受けたからだと話したら、
立川談志に「うまい理屈が見つかったな」と言われた、というエピソードがあるそうです。
立川談志が言うには、「本当は」理由なくただ落語が辞めたかっただけで、ショックを受けたからというのは本当の理由ではないと。
伊集院光が立川談志の落語を聞いて辞めることにしたのか、ただ辞めたかっただけなのか、どっちが嘘でどっちが本当なのかをどうやって判断したら良いかは誰にもわかりません。
3.「良い」と「悪い」は表裏一体
「嘘」と「本当」の違いとも重なりますが、「良い」と「悪い」はどちらがどちらか判断できません。
例えば、子供にサンタはいるという話をしてこっそりプレゼントを置いておくのは良い嘘なのか悪い嘘なのかどちらでしょう?
その子がサンタを信じている間は「良い嘘」かもしれませんが、「まだサンタなんて信じてるの?」と友人に言われて傷ついたとき、それは「悪い嘘」になるとも言えます。
でも大人になってみて、サンタを信じた経験が楽しい思い出として残っていたら、それは「良い嘘」だったとも言えます。
見方によって「良い」と「悪い」も変わります。
まとめ:日々の仕事で感じる「嘘」と「本当」
「嘘」と「本当」の話の中で私が考えていたのは、日々仕事で関わっている統合失調症の患者さんのことでした。
統合失調症の患者さんは、私には聞こえない声が聞こえていたり、見えないものが見えていることがあって、それはその人にとっては「本当」です。
だから、それは「本当はないもの」だとして扱うのではなくて、「自分にはわからないだけで本当にあるもの」だと思っておく必要があると肝に銘じています。
気を抜くと、自分が知っている世界が全てだと考えてしまうので…。
それから、初めは「嘘」だったものが、「本当」になることもあるな、とも思いました。
ある患者さんに「病気は治るのかな…」と聞かれた時、「あなたには治る力があると私は信じている」と患者さんを勇気づける意味で「治ります」と言ったことがあります。
治るかどうかはわからないと思っていた部分もあるので、嘘をついたと思いますが、もし治ったら、その嘘は本当になります。
(厳密には「治る」というより、「乗り越える」に近いのかなと思いますが。)
そして今回の哲学カフェで一番強く感じたのは、「哲学カフェって楽しい!」でした!
次回も楽しみです!
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