先日、哲学カフェで「普通って何?」というテーマの回に参加しました。
私にとって「普通」を考える上で避けて通れない事柄があるので、そのことについて書いておこうと思います。
それはずばり、「私がレズビアンである」ということです。
今回は、レズビアンである私の悩みについて書きます。
レズビアンである私について
レズビアンである私の悩みについて3つの視点から書きます。
1.好きなタイプはボーイッシュなイケメン女子!
自分がレズビアンだと自覚したのは、中学生の時でした。
その頃にBL(ボーイズラブ)マンガにハマって、「同性を好きになることもあるんだ」と知りました。
そして、今まで「好き」だと思ってきた男の子のたちのことは、「好き」というよりも「憧れ」なのかもしれないと思いました。
男性アイドルを「かっこいい!」と思ってときめく感じに近いと思います。
そして、その時によく一緒に遊んでいた女の子のことが「”好き”なのかもしれない」と思ったとき、すごく腑に落ちました。
ただ「女の子が好き」と言っても、いわゆる「女の子らしい」感じの子はあんまり好きにならなくて、ボーイッシュなイケメン女子がタイプです!
イメージとしては、男装コスプレイヤーさんです。
好きなタイプの話をしようとすると、「男性が好きなわけではない」「かといって女の子らしい人が好きなわけではない」という、二段階の説明が必要になること
2.「女性らしいもの」に対する違和感
よく混同されるのですが、「女性だけど女性が好き=男性になりたい」ではありません。
性的指向(女性が好き)と、性自認(自分は女性だと思う)は別問題なのです。
…とは言うものの、個人的にはその2つは少しは関係しているのかもしれないと思います。
私自身、男性になりたいわけではありませんが、いわゆる「女性らしいもの」を身につけるのは強い違和感があります。
具体的には、スカートだったり袖だったりがひらひらした服や、ピンク色の服を着ると「女装」しているような気持ち悪さがあります。
胸も大きくなってほしくなくて、「大きくなるな…!」と念じていました。
(幸い?それほど大きくなりませんでした)
一時期はメンズの服ばかり着ていて、サイズとか骨格が合っていなくてぶかぶかでした。
最近はレディースでもユニセックスなデザインの服が買えるので助かっています。
レディースでユニセックスな着こなしをするポイントについて書いた記事はこちら。
メンズっぽいデザインでサイズはレディース用という服があまりない
3.「カミングアウト」がついてまわる
レズビアンであるということについて、自分がカミングアウトしない限りは周りの人が知ることはほぼありません。
今の日本では、「異性愛者である」ということが大前提として浸透しているからです。
マイノリティである私ですらも、相手のことをいちいち「同性愛者かな?」とは考えません。(考えることは多いかもしれませんが)
世界は「異性愛者」と「同性愛者」だけではなくて、「両性愛者」も「全性愛者」も「無性愛者」もそれらの間にいる人も、だんだん変わっていく人も、どれにも当てはまらない人も、「好き」の度合いも「愛」の意味も、人によってみんな違うと思います。
なのに、「異性愛者」じゃない人たちだけ「カミングアウト」しないと話が通じないのは不便だと思います。
例えば、「彼氏いるの?」と聞かれた時、
「(彼氏はいるけど彼女は)いるよ」と答えるのか、「(彼氏は)いないよ」と答えるのか、「付き合ってる人はいるよ」と答えるのか悩まないといけない、ということがあります。
カミングアウトすれば良いのですが、傷付くことになるかもしれないし、関係性に悪い影響を及ぼすこともあるので、勇気と覚悟がいります。
さらにその後も、誰にどう説明したか覚えておかないといけないし、違う説明をしてしまった何人かと話をすることになった時なんかは大変です。
色んな形の「好き」とか「愛」があるという認識が浸透した世界になれば、どんな性の人好きかということは「おもしろい人」とか「アウトドア派な人」といった「好み」のうちの1つになるだろうなと思います。
そして、早くそうなるといいなと思っています。
傷付く覚悟でカミングアウトしないと嘘をつき続けることになる
レズビアンであることは私の一部
「レズビアンであること」は私の一部ですが、全てではありません。
10代の頃はレズビアンであることが自分のほとんど全てのように思えていました。
それほど日常生活に大きく関わる事柄だったからです。
傷つくこともあったし、逆に力になったこともあります。
もし今「自分とは何か」で悩んでいる人がいたら、「あなたはそのままであなただよ」と声をかけたいなと思います。
私に何か聞いてみたいことがあれば、コメントやお問い合わせいただければ、お答えできる範囲でお答えします!
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