先日、哲学カフェに参加しました。
哲学カフェとは、身近なテーマに関してみんなでじっくり話し合い、ともに考えるプロセスを楽しむ場です。
「哲学」とついていますが、できるだけ日常の言葉を使って、自分たちの身近な問題に引きつけて話します。
テーマは【『自然を守ろう』ってどういうこと?】でした。
その時に印象に残ったことについて書きます。
印象に残ったこと
特に印象に残った話は次の3つです。
1.「人間にとって都合の良い」環境を守る
「自然」と聞いてイメージするのは、海・山・川といったものです。
これらを「守る」理由はつまるところ、「人間のため」なのではないでしょうか。
なぜなら、自然は人間にとって生きていくための資源であり、無くなると人間が生きていけなくなってしまうからです。
人間が直接生活に利用しているものではなくても(例えば絶滅危惧種の動物)それを守ろうとするのは、
無くなってしまうと生態系のバランスが崩れて結局は人間に必要なものが無くなってしまうおそれがあるからなのかもしれません。
「地球」には感情はないので、自然が無くなっても困ったり悲しんだりしません。
困ったり悲しむのは人間です。
2.罪悪感を薄めるためのキャッチコピー
「自然」は人間以外のものではなく、人間も自然の一部です。
もし人間が絶滅したとしても、自然全体からみると一過性の出来事です。
自然の一部であるはずの人間が地球上に増えすぎてしまったために人間以外の自然を壊してしまっており、
「自然を守ろう」とは、その罪悪感を薄めるためのキャッチコピーであるとも言えます。
3.自然と人工の違い
これについては、全く逆の2つの意見が出ました。
- 自然は変化しやすいもの(樹木・草花など)
人工は変化しにくいもの(コンクリートなど) - 自然は変化しにくいもの(山・川など)
人工は変化しやすいもの(繁華街の街並みなど)
人間が自然の一部として生活しているので、はっきりと線引きできるものではなさそうな気がします。
中間にあたる例として「切り株は自然なのか人工なのか?」という話がありました。
まとめ:「自然」とは一体何なのか
参加して感じたのは、「自然」という概念自体が幻想なのではないか?ということでした。
有るようで無い。無いようで有る。
人間が生きていくために必要な「自然」がまだあるようなので今生きていますが、
今後もその自然を保ちつづけて人間が絶滅せずに生き残っていくのは、難しいことだという気がします。
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