最近詩に興味を持っています。
コロナの影響で外出自粛要請が出る前に、図書館で目に留まった萩原朔太郎の詩集を借りました。
今回は、その中で印象に残った詩を紹介します。
私なりの感想なので、「それはこういうことだよ!」とかあれば、教えて頂けると嬉しいです。
『永遠の詩07 萩原朔太郎』
内容<amazonより>
現実を超えた天上的な美しさと子供のような残酷さ。内省と虚無。
言葉にできないものをこそ、詩にあらわそうとした詩人の傑作を現代仮名遣い、鑑賞解説付きで収録。
印象に残った詩
特に印象に残った詩は3つあります。
全ては引用できないので一部を引用します。
「雲雀料理」
ささげまつるゆうべの愛餐、
燭に魚蠟のうれいを薫じ、
いとしがりみどりの窓をひらきなむ。
引用したのは出だしの1文です。
意味はよくわかりませんが、やたらかっこいい。声に出して読みたくなります。
タイトルが特にかっこいい。
字面もかっこいいので、この詩のページを写真に撮って携帯電話の待ち受けにしてます。(笑)
静かでちょっと神聖でさわやかだけど何となくアンダーグラウンドなイメージが浮かびます。
一番気に入っている詩です。
「青猫」
ああ このおおきな都会の夜にねむれるものは
ただ一疋の青い猫のかげだ
かなしい人類の歴史を語る猫のかげだ
われの求めてやまざる幸福の青い影だ。
引用したのは後半の出だし部分ですが、前半部分は明るい都会のイメージです。
この詩はおしゃれな感じ。
でも最後は寂しい。その余韻が心に残ります。
「くさった蛤」
この蛤は非常に憔悴れているのである。
みればぐにゃぐにゃした内臓がくさりかかって居るらしい、
それゆえ哀しげな晩かたになると、
青ざめた海岸に坐っていて、
ちら、ちら、ちら、ちらとくさった息をするのですよ。
前の二編とは違って、生々しい感じです。
その生々しいざらざらしたものが心の中に引っかかっていきます。
だけど、スーッとするような感じもあります。
なぜか暖かい感じもあります。(生暖かさなのかな?)
引用したのは最後の部分ですが、「するのですよ。」の部分が、傍観している自分に急に話しかけてくるようです。
響きやイメージが楽しい詩集
深い意味はよくわかりませんが、響きとかイメージが楽しいな、と思いました。
私が面白いと思ったことが少しでも伝わればいいなぁ…。
ちなみに、この本のもくじにはそれぞれの詩の出だし部分が書いてあって、それを繋げて読むのも詩みたいで面白いです。
「有明のうすらあかりは
こころをばなににたとえん
ふらんすへ行きたしと思えども
静物のこころは怒り
皿にはおどる肉さかな
月光の中を泳ぎいで
地面の底に顔があらわれ
ますぐなるもの地面に生え
光る地面に竹が生え」
みたいに続きます。
邪道な楽しみ方です。
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